ハンス・クリスチャン・アンデルセンについて

Om Hans Christian Andersen

アンデルセン(デンマーク語では、アナスンもしくはアナセンと発音する)1805年4月2日、デンマークで2番目に大きな島フューンに生まれた。父親は靴の修繕屋、母親は洗濯婦をしており、家庭は超ビンボー、その日暮らしだった。
しかし「ボロは着ててもココロは錦」、父親の影響もあって、ちいさな頃から文学や演劇に興味がつきなかった。1816年、思いが高じたアンデルセンは、デンマークの首都コペハンーゲンに旅立つことを決心する。わずかなお金を握りしめ、歌手、俳優をめざして旅立ったのは、14歳の時だ。今で言えば中学生の家出である。今の中学生に見習ってもらいたいような、勇気凛々さ。当時の唯一の長距離交通手段だった馬車。この乗車賃をねぎり、たった一人で旅立ったのである。同年9月16日、城壁に囲まれたコペンハーゲンを見下ろすフレデリスクベアの丘に立つ。そして西門をくぐって、夢を叶える街へと入っていくのである。

が、現実は、甘くはない。なんにもわからない14歳という年齢の上に、下層階級の出身。志高くとも現実の壁は厚く、夢叶わず挫折を繰り返すこと幾年月。しかしアンデルセンは心の中には、苦難に遭ったときにいつもヒーローがやってくる。夢、というヒーローが。

「艱難辛苦汝を玉にす」。

アンデルセンは窮地に陥ると、力を発揮した。困難にめげることなく様々なことにチャレンジ。その直接的で情熱的な意欲が買われたのか、支援者を得る。支援者のはからいで、基礎教育、高等教育を身につけたアンデルセンは徐々にその文才をあらわす。そしてついに、1835年、『即興詩人』、『子どものための童話集』(自費出版)を刊行、作家・詩人としての地位を確立し始める。あとの活躍はもうご存じの通り。同時代には、哲学者サーン・キルケゴールもいた。

今やデンマーク王国のナショナルシンボルで、同国に多大な観光収入を、100年以上に亘ってもたらしている。まるで打ち出の小槌のような童話作家である。アンデルセンは生涯で156編の童話を書き、世界中の100ケ国以上の言語に翻訳され愛読されている。

日本の文学者らにも多大な影響を与え続けている。アンデルセンのおかげで日本には「雨にも負けない」童話作家が誕生している。アンデルセンは彼の時代のさまざまな苦難に打ち勝った。そして生涯にわたる活躍は周知の通り。

大きな鞄をもって、旅を続け、いくつかの恋もしたが結局実ることなく、生涯独身を通し(デンマークの車寅次郎か、といったのは落語家の桂扇生師匠)、1875年8月4日永眠した。

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